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カトリックQ&A

  1. キリスト教のことを知りたいと思うのですが、どうしたらよいのでしょうか。
  2. 信者になるためには、むずかしい勉強をしなければならないのでしょうか。
  3. クリスチャンは酒もタバコものまないと聞きます。そのように厳しいモラルを守れない人はクリスチャンにはなれないのでしょうか。
  4. 教会と聞くと、まじめで、熱心な人たちの行くところのような気がして、つい足が鈍ります。意志の弱い、怠け者には信者になる資格がないのでしょうか。
  5. 教会の講座などに出て解説をうかがうと理解できるのですが、聖書を自分ひとりで読むとよくわからないし、なかなか興味を保つことができません。聖書を読む方法を教えてください。
  6. 神を信じることは必要なのでしょうか。神を信じなくても、支障なく生きていけるのではないでしょうか。
  7. どうして神が本当に存在すると言えるのでしょうか。
  8. 神とか超越的なものがあることは信じられるのですが、なぜイエス・キリストでなければならないのでしょうか。日本には伝統的な宗教があるのですが、キリスト教以外には救いはないのでしょうか。
  9. 聖書に言われる天地創造は、進化論と矛盾しないでしょうか。
  10. 人が過去に大きな罪を犯したとしたら、どのようにすればゆるされるのでしょうか。どのような償いの方法があるのでしょうか。
  11. キリスト教は妊娠中絶を厳しく禁じていると聞きますが、そのような不幸な過去を持つ人がいたら、その人に救いはないのでしょうか。
  12. ある人がどうしても赦せません。キリスト教では、人を赦さないと自分も神から赦していただけないと教えていますが、私のような者には救いはないのですか。
  13. 過去に犯した罪のことを思うと、今も心が暗くなります。自分の醜さを考えるたびに、自己嫌悪に陥ります。私のような者にも赦しは与えられるのでしょうか。
  14. キリスト教では、教会堂の正面に十字架がかかげられているのですが、やさしい仏像などに馴染んでいる日本人の感覚には、あまり凄惨で、受けいれにくいのではないでしょうか。
  15. 福音書を読むと、イエスは十字架の上で「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」と叫んでいますが、イエスが神の子なら、なぜこのようなみじめな叫びをあげたのでしょう。
  16. イエスの死は、どうして私たちの罪のゆるしとなるのですか。人類の「贖い」のためだった、という話も聞きますが。何のことか、よくわかりません。
  17. キリスト教ではキリストが復活したと言われますが、一度死んだ人が生き返ったなどと、本気で信じているのでしょうか。
  18. 聖書の述べる復活の物語を、ひとつの文学として読んでもよいでしょうか。イエスの復活は、希望のメッセージを告げる比喩としてなら美しいし、よくわかります。ほんとうに歴史的なこととして理解すべきなのですか。
  19. イエスの弟子たちの「復活体験」は物理的なものではなく、精神的な次元のものであると思いますが、幕末から現代に至るまで新興宗教の教祖の多くは、長い瞑想や修行の末にとつぜん照らしを受けて、宗教活動を開始したと言われています。弟子たちがイエスの復活を体験して教会を造ったという事実も、そのような「霊的な啓示」と考えてよいでしょうか。
  20. ある新興宗教の人から、家に不幸があるのは悪い霊に取りつかれているからだ、といわれています。キリスト教で言う「聖霊」とは、「守護霊」のようなものと考えてよいのですか。
  21. 『使徒言行録』の描く「聖霊降臨」は、一度限りの出来事だったのですか。現代の私たちには体験されないのですか。
  22. イエスを導いた聖霊と、イエスが復活した後に弟子たちに送った聖霊とはどう違うのですか。
  23. イエスが説いた神を信じると言うなら理解できるのですが、キリスト教ではそれだけでなく、イエス自身を神として拝むのですか。
  24. イエスの教えはすばらしいと思うのですが、キリスト者がイエスを「神の子」と信じているのにはついて行けません。新興宗教でも、自分を「神の子」と称している教祖はたくさんいます。同じように理解すべきなのですか。
  25. イエスは原罪なくして生まれたことになっています。と言うことは、イエスは人間でなく、神のお使いなのだと思います。キリスト教で復活はいちばんの真理だ、イエスの復活はすべての人の復活の「初穂」であり希望の根拠だとおっしゃいましたが、もともと人間でないイエスの復活が、原罪を持つ私たち人間の復活の保証になりうるのでしょうか。
  26. キリスト教で言われる「三位一体」ということがわかりません。説明してください。
  27. 三位一体についてのご説明に納得がいきません。「イエスこそ神ご自身を絶対的なしかたで仲介する者だと信じるとすれば、実は、そこにすでに三位一体の信仰が含蓄されている」というご説明ですが、イエスはただ「仲介者」にすぎず、神ご自身ではないのですか。「アブラハムが生まれる前から、『わたしはある』」(ヨハネ8・58)、「わたしと父とは一つである」(ヨハネ10・30)と言われるように、イエスは御父と同じように神だと教わってきたのですが。
  28. 人間は死んだらどうなるのでしょう。キリスト教でも、仏教で言われる「輪廻」のような考え方があるのでしょうか。
  29. 死後に「永遠のいのち」があることを、どうして信じることができるのですか。
  30. 人間の救いが「永遠のいのち」と考えるなら、結局は私たちの生きている世界は大切ではなくなって、ただ「あの世」のことだけを望んで生きることになりませんか。
  31. 宗旨が違うと、死んだ後で違う所に行くのでしょうか。
  32. 不幸に亡くなった人のために、どのように供養してあげることができるのでしょうか。キリスト教にも死者のための供養ということがありますか。
  33. この世のはかなさをつくづく感じます。あまり難しいことを考えずに、自分に与えられた境遇を甘んじて受けとめ、こだわりなく、虚心坦懐に生きていればよいのではないでしょうか。
  34. あえて「永遠のいのち」などを信じないでも、この世で精一杯に生きればよいのではないでしょうか。
  35. 働き盛りの夫が突然倒れ、他界しました。仕事半ばにして死んでいった人にとって、その死は何だったと考えたらよいのでしょうか。聖書には「死は罪の結果」と言われます。夫は罪のために死んでいったということなのでしょうか。
  36. キリスト教では人が死んだとき、「神様がお召しになった」と言います。もし神様が人の生死をつかさどっておられるのでしたら、いったい何のために人を人生半ばにしてお召しになるのでしょうか。
  37. 神が一人ひとりの人間を慈しむ方なら、なぜ世の中にこれほどの不公平があるのですか。生まれつき能力にも境遇にもハンディーキャップを負う者には、どうすれば希望のある生き方ができるのですか。
  38. 家族に不幸が続いて、打ちのめされています。私が罪深い者だから神様はかえりみてくださらないのでしょうか。
  39. 神が真にやさしい方なら、なぜこの世の中には苦しみがあるのですか。
  40. 身障者の方々のためにボランティアをしておりますが、人間が「神のかたどり」なら、どうして自分はこのような体に生まれてきたのか、と聞かれました。どう答えればよいのでしょう。
  41. 世界情勢の危機的な様相とか、地球の環境汚染の問題などを考えるとき、未来が不安です。キリスト教のある教派ですが、世の終わりが近づいているとか、裁きが迫っているとか、街頭で盛んに宣教していますが、やはりそうなのでしょうか。カトリック教会ではどのように考えているのですか。
  42. これまで、かなりキリスト教の勉強をしたのですが、もう一つ腑に落ちません。すなおに信じている人を見て、うらやましくなります。私は生まれつき、不信仰者なのでしょうか。
  43. 私の家では、これといった宗教を信じていませんが、私が小さい頃から神様に手を合わせて祈る、ということがありました。そのような祈りはキリスト教でも正しいのでしょうか。
  44. 毎日のあわただしい生活の中で「祈りたい」と思うのですが、どう祈ったらよいかわかりません。教えてください。
  45. 私は星占いにとても興味があります。落ち込んだときに占いに助けられたこともあります。私はキリスト教信者としては失格でしょうか。
  46. 「神の選び」という言葉を聞きますが、神が選んだ人だけが救われるのですか。選ばれなかった人には、救いはないのですか。
  47. しばしばキリスト者は「神の呼びかけ」とか「みむね」とかを口にします。私たちは、神が望んでおられることを知ることができるのですか。もし本当なら、どのようにすれば知ることができるのですか。
  48. このたびの湾岸戦争では、双方が神の名によって戦うということを主張しましたが、宗教が戦争の動機づけになるのですか。カトリック教会ではこの戦争をどのように考えているのですか。
  49. キリスト者たちが大嘗祭に際して政教分離を訴えるのはわかりますが、天皇制そのものに反対するのはなぜですか。天皇制はキリスト教の信仰とあいいれないものなのですか。
  50. しばしばユダヤ人が憎まれるのは、キリストを殺した民だからですか。聖書に約束されているからと言ってパレスチナを占領し、住民を弾圧しているユダヤ人を許してもよいのですか。
  51. キリスト教にもいろいろな教派があるようですが、カトリックとプロテスタントとはどう違うのですか。
  52. 西洋の歴史を学ぶと、キリスト教は平和をもたらすより、むしろ争いの種になっているのではありませんか。今でもアイルランドではカトリック教徒とプロテスタント教徒が争っていますが、これはなぜですか。
  53. イエス・キリストの教えには心ひかれるのですが、洗礼を受けるところまで踏ん切ることができません。洗礼は救いのために必要なのでしょうか。
  54. 洗礼を受けたいと望んでいるのですが、家で反対されます。家庭に不和を起こしても洗礼を受けるべきでしょうか。
  55. イエス・キリストの教えには賛同しますが、教会には違和感を感じます。教会の中に飾られている像とか、そこで行われている祭儀とか、とても自分には入っていけない世界のように思われます。イエスの弟子となっても、教会の一員にはならない、という生き方が許されますか。
  56. あるクリスチャンの友人から、「カトリック教会は聖書に忠実ではなく、聖書にないことも教義として教えている」と言われました。これは本当ですか。
  57. しばらく教会に通っていましたが、人間関係のわずらわしさに足が遠のいています。神様の愛をよく知っているはずの信者が、なぜ陰で人のことを、とやかく言うのでしょう。
  58. 新しく赴任して来られた主任司祭に、どうしてもついていけません。教会を移ってもよいでしょうか。
  59. プロテスタントの牧師さんたちは結婚しているのに、なぜカトリックの神父さんたちは独身なのですか。
  60. 天使について教えてください。マリアに受胎を告げたり、羊飼いに主の誕生を知らせたり、聖書には天使がよく登場します。天使は本当にいるのですか。
  61. カトリック教会にはたくさんの聖人がいるようですが、いわば守護神と考えてよいのでしょうか。
  62. 聖書もキリスト教も、もともと父制社会のユダヤで生まれ、その神のイメージも、信仰の教えも、すべて男性中心的だ、と聞きました。偏りではないでしょうか。
  63. カトリック教会で女性が聖職者になれないというのは、女性蔑視ではないでしょうか。
  64. 遠藤周作が、聖書を読んで不満に思うのは、イエスに性の悩みが見られないことだ、と書いていますが、やはりイエスはそのような凡人の悩みを超越していたのですか。
  65. カトリック教会にも、フランシスコ会とか、ドミニコ会とか、さまざまな派があると聞いています。どう違うのですか。
  66. 親切で明るいシスターがたを見て、いつも敬服します。どういう生活をなさっている人々なのでしょう。
  67. シスターになるのは、どういう人たちなのですか。体験のために修道院に一時的に入れてもらうことはできないのでしょうか。
  68. 近年では、キリスト教の諸派の間で相互の対話や協力が盛んになったと聞きます。それではなぜ、「統一協会はキリスト教ではない」と言って排斥するのですか。
  69. 近くにモルモン教の教会があって、礼儀正しい外国人の青年が路上で熱心に勧誘しています。正統なキリスト教の教派とみなしてもよいのでしょうか。
  70. 「エホバの証人」の人が戸別訪問して来ますが、新聞では輸血拒否などで騒がれています。どのような教派なのでしょうか。
  71. キリスト教では聖母マリアの処女懐胎を信じていると聞きます。それは医学的にありえることでしょうか。
  72. よく聖母マリアが出現した、こういう奇跡があった、という話を聞きます。カトリック教会ではキリストよりも、マリアを拝むのですか。
  73. カトリック信者が愛唱している「天使祝詞」の中に、「天主の御母、聖マリア」と唱えるのには疑問があります。聖書では父なる神が天主なのに、なぜ聖母が天主の御母なのでしょうか。