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カトリックQ&A

プロテスタントの牧師さんたちは結婚しているのに、なぜカトリックの神父さんたちは独身なのですか。


この問題には、長い歴史がからんでいます。司祭の独身制は司祭職の本質に基づくと言うよりは、むしろ伝統の中でしだいに必要性と価値が認められて、制度化されてきた、と言うべきでしょう。それは、決して結婚を悪いものとか、価値の低いものとかみなすことではありません。カトリック教会の伝統は、結婚を非常に尊重しますが、それにもかかわらず司祭の勤めのためには、独身制がより適していると判断しています。

実は独身制の是非については、特に現代では、さまざまに議論されています。独身のために司祭は夫婦や家庭の問題がわからないとか、情緒的に不安定であるとか、偏屈になりやすいとか、いろいろな欠点もあるでしょう。私の母は、家族の中で私だけが禿げているのは独身のせいで、やはりホルモンのバランスがうまくいかないのだ、と言っています。

それは冗談として、あえてそのような危険を犯しても、キリストの司祭となるために独身生活を選ぶという人間が大勢いるということは、現代世界の奇跡ではありませんか。 特に日本のようにキリスト者の少ない国で、教会は財政的にまだまだ脆弱です。独身だからこそ、司祭は自分の生活のことを顧みずに、勤めに励むことができます。もし自分の家族を養わなければならないとしたら、司祭の働きは教会員の献金に拘束されてしまうでしょう。お金持ちの信徒に対して厳しいことが言えなくなったり、損得をぬきにして貧しい人々のために尽くしたりすることが難しくなってしまうでしょう。司祭が自分の利益のためではなく、純粋にキリストと教会に身を捧げていることを示すために、独身制は目に見える証ではないでしょうか。

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