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カトリックQ&A

人間は死んだらどうなるのでしょう。キリスト教でも、仏教で言われる「輪廻」のような考え方があるのでしょうか。


これは人間の究極の救いにかかわる、とても根本的な御質問ですが、「死後」のことを説明することはむずかしいですね。この私たちの世界で経験できないこと、ただ信仰によって信じられることがらを説明するには、経験から得られた譬えを使って、何とか方向を指し示すことしかできません。聖書を読みますと、パウロも同じような質問を受けて、一生けんめい苦労して、いろいろな譬えを使って説明しています。

キリスト教では、人間の生涯は一回限りで、繰り返すことができないものと考えられます。だから、輪廻とか生死の流転などの思想はありません。キリスト教で信じられる救いは、神のいのちへの参与、「永遠のいのち」と呼ばれるものです。これは、死後にずっと絶え間なく続く生ということではありません。私たちは時間の流れの中に生きていますから、死んだ後のことも時間的に想像しがちですが、そもそも「死」とは、時間の中での生の営みを終えることです。だから、「永遠」とは時間を越えることです。まったく違った次元で新しい存在のしかたです。

パウロは、植物の譬えを使って、朽ちるものに蒔かれて、朽ちないものに復活する、と説明しています(1コリ15の35~49参照)。つまり、私たちの地上の生涯は蒔かれた種子のようなものです。時間の中に蒔かれるのですが、それは永遠のものとして実ります。種子としての姿は壊れて、まったく新しい様相になりますが、だからと言って、それは他の異物ではなく、その種子の実った姿です。永遠とは、時間の中で営まれた生が実り、神の前で決定的な姿にされたことを言います。

このように説明しても、納得していただけないかもしれません。というのも、私たちは永遠のいのちのことを、ただぼんやりとしか想像できないからです。ちょうど太陽が昇ろうとしている丘の道を歩いているように、丘の向こうが明るくなっていることを見ても、光そのものを見ることはできないのです。でも、これこそがキリスト者の希望となっています。死を越えるいのちへの希望こそ、世間的な損得を越えて愛のために自分を捧げる力となっています。

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