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カトリックQ&A

イエスの弟子たちの「復活体験」は物理的なものではなく、精神的な次元のものであると思いますが、幕末から現代に至るまで新興宗教の教祖の多くは、長い瞑想や修行の末にとつぜん照らしを受けて、宗教活動を開始したと言われています。弟子たちがイエスの復活を体験して教会を造ったという事実も、そのような「霊的な啓示」と考えてよいでしょうか。


確かに新興宗教の現象には、何らかの霊的な体験、人間を越える存在についての洞察があるのでしょう。しかし、それとイエスの弟子たちの体験が根本的に違っている点を見落としてはなりません。

つまり、弟子たちの体験したのは、生前に寝起きをともにして、親しく知っていた同一人物との出会いでした。それは十字架の上で無残に殺され、今は神の栄光に上げられたイエスです。そして弟子たちが悟った復活の意味とは、生前のイエスが彼らに告げた「神の国」の福音がイエスの復活というできごとを通して確証されている、ということです。

イエスの復活とは、キリスト教の信仰の全体を啓示するできごとです。それはまず、神とはだれであるか、またイエスとはだれであるか、さらに私たちの究極的な救いとは何であるかを端的に告げています。つまり、イエスが宣べ伝えた神の国の福音に、真実の基礎を与えるできごとです。

神はイエスを死者の中から復活させることを通して、ご自分に信頼する者を決して見捨てることのない方、生と死を越えて信じるに値する方、全能の父なる神としてご自身を表されました。また、イエスの十字架の死を通じて人間の罪、世界の傷と闇を担い、これを癒し、回復される方であることを示されました。さらに、イエスの復活において神の国が力強く始まっていることを告げ、苦悩に満ちた世界、迷いと混沌に沈む人生に、希望の保証をお与えになりました。

もちろん、キリスト教以外の宗教にも、さまざまな形で希望のメッセージがあり、人生の問いに対する深い洞察があるに違いありません。それが自分にとってどのような意味を持つのか、という問いかけをもって受けとめるのは、一人ひとりの自由です。私自身は、キリスト教の語る「イエスの復活」という希望のメッセージ以上に、自分の生きる意味への問いに答えるものを見いださないのです。

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