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カトリックQ&A

キリスト教では聖母マリアの処女懐胎を信じていると聞きます。それは医学的にありえることでしょうか。


これは、よく尋ねられる質問ですね。まず、キリスト教信仰にとって聖母の処女懐胎がどのような意味をもっているか、ということをお話ししましょう。

イエスの誕生のいきさつについて記しているのはマタイ福音書とルカ福音書ですが、まったく違った書き方ながら、両者とも、マリアが婚約者のヨセフと一緒になる前に、聖霊によって身ごもったことを記しています(マタイ1・18~25、ルカ1・26~38)。しかし、マタイもルカも、そこで強調しているのは、医学的、生物学的には説明できない奇跡のことよりも、むしろ神学的な意味のことです。つまり、神が人間の救いのために自ら世界内に介入されること、この救いのわざは神からのイニシアティヴによるものであり、決して人間の意志によらないことを表現しています。

ひととき宗教史学の研究で、当時の諸宗教にもこれに似た現象のあることを確かめ、そこからマリアの処女懐胎の信仰の由来を説明する試みがなされたことがあります。しかし、それは成功していません。むしろ、当時のユダヤ教の土壌では、通常の結婚をして多くの子どもを産むことこそ神の祝福とされていました。処女であることは、必ずしも積極的な意味をもっていませんでした。やはり、聖母の処女懐胎はキリスト教のユニークな信仰に属しています。

ヨハネ福音書は、神の子となる資格を与えられた人々が「血によってではなく、肉の欲によってではなく、人の欲によってでもなく、神によって生まれた」(1・13)と述べていますが、イエスの誕生のできごとこそ、その神の恵みのわざの結晶でしょう。処女懐胎は、神の救いの歴史に与えられた一つの「しるし」です。もちろん、イエスが神の子であることと処女懐胎ということとの間には、論理的に必然的なつながりはありません。処女懐胎だから神の子であることが証明されるわけでもなければ、イエスが普通の生殖によって生まれたとしても神からの由来に別に差し障りはなかったでしょう。しかし、歴史の中に現実になった「しるし」なのです。たとえ、現代人に説明しにくかろうと、神の救いのわざのシンボルとして与えられています。

「シンボル」と言っても、ただ神学的な主張の表現形式にすぎない、と言うわけではありません。聖書学の研究から、マタイとルカ、そして二人の属していた原始の教会が、処女懐胎のシンボルを実在的に理解していたことに疑いの余地はありません。また、教会の伝統の中で、つねに信じられてきたことがらです。私自身、これを信じて疑いません。全能の神が私たちの世界に介入なさった創造のわざであることを思うと、これを信じることに困難はありません。たとえ、医学的な次元で論じられるものではなくても、神から与えられたすばらしいしるしだ、と思っています。

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