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カトリックQ&A

キリスト教にもいろいろな教派があるようですが、カトリックとプロテスタントとはどう違うのですか。


まず、カトリックとプロテスタントとは、どう違わないか、ということをお話ししましょう。一つの泉から水が幾筋にも流れ出るように、二千年のキリスト教の歴史の中で、さまざまな教派が生まれてきました。でも、その源泉は同じ、イエス・キリストです。イエスを主とあがめる人々、イエスの福音に従って生きようとする人々は、イエスの腹心の弟子たちを中心に集い、そこに教会が生まれました。この腹心の弟子たちは「使徒」と呼ばれますが、使徒たちの教えに基づいて、教会はしだいに組織化されていきました。使徒たちの教えは書きとめられ、教会の中で朗読され、こうして新約聖書が生まれました。ここまでは、教派の違いはありません。つまり、「主は一人、信仰は一つ」(エフェソ4・5)です。

ときどきキリスト者たち自身、教派の違いにばかり目を奪われていて、このことを忘れがちなのですね。同じイエスを主と信じ、主の死を通じて罪の支配から解放され、主の復活を通じて神の生命を約束されているという、この信仰の本質的な点については、教派間に違いはありません。

それでは違いはどこから来るのかと言えば、それは長い時の流れの中で、民族や政治や文化の変化に伴って、しだいに違った形態に発展してきたのだ、と言ってよいでしょう。
聖書の理解のしかたでも、教義の表現のしかたでも、組織の形態でも、典礼や祭儀の形でも、さまざまな時代に、さまざまな民族が違ったふうに発展させたのは、むしろ当然のことだったかもしれません。

カトリック教会とプロテスタントの諸教会は、ともに主として西洋で発展したものですが、十六世紀の宗教改革を契機に分かれてきました。ローマ教皇を中心にして全世界に普遍的な教会組織を保とうとするのはローマ・カトリック教会ですが、中世のキリスト教化された西洋社会の中で富や権力と癒着したり、本来の福音の精神から逸脱したりした面も少なくありません。これに対して真の福音の精神に戻ろうと訴えたのが宗教改革者たちでした。彼らは教会の権威や教義などに束縛されないで、聖書に基づく自由で主体的な信仰を強調しました。ただ、その純粋な意図にもかかわらず、当時の政治や民族の抗争などが絡んで、結果的には不幸な教会分裂と混乱が生じてしまいました。プロテスタント教会はローマ・カトリック教会から離れた結果、相互に分裂を繰り返して、とうとう何千もの教派に分かれてしまいました。

そのようなわけで、カトリックとプロテスタントとはどう違うか、という質問に答えるのは、容易ではありません。プロテスタントと言っても、実にさまざまな教派があるからです。大ざっぱに言えば、カトリック教会がローマ教皇を中心に団結し、伝統を大切にしているのに対して、プロテスタント諸教会は直接に聖書を拠所にして、かなり自由に、それぞれの教会組織をつくっています。その結果、初めてキリスト教の教会を訪れる人にとっては、礼拝のしかたにせよ信仰の表現にせよ、教派によってまるで違う雰囲気をかもしだしています。

本来はキリストの教会は一つであるはずです。そして、世界に愛と和解をもたらすものであるはずです。その教会が、たくさんの教派に分裂して、しかも互いに憎みあっているとしたら、それは教会の本質にとって矛盾そのものです。そこで、現在では世界の各地で、キリスト者たちが教派を越えて一致しようという運動が起こっています。キリスト者たちが他の教派の伝統の中に自分たちの教派にないすばらしい価値を見いだし、互いに学ぶことができるとすれば、教派の違いはむしろキリスト教全体にとって豊かさだ、とも言えるでしょう。

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