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カトリックQ&A

西洋の歴史を学ぶと、キリスト教は平和をもたらすより、むしろ争いの種になっているのではありませんか。今でもアイルランドではカトリック教徒とプロテスタント教徒が争っていますが、これはなぜですか。


確かにキリスト教には、命懸けで自分の信念を貫くという、真剣な面がありますね。これが他神教と違う一神教の排他性から来るのだ、などと説明する人もいますが、私はそのようには考えていません。キリスト教は、三位一体論を見てもわかるように、いわゆる厳密な意味の一神教と違うかもしれません。そのような好戦的な姿勢は、宗教の教義よりも、むしろ、その宗教を担った民族の精神性によるのではないでしょうか。

アイルランドには、非常に複雑な歴史のいきさつがありますから、これをただカトリックとプロテスタントとの宗教戦争だと考えるのは短絡すぎるでしょう。最近の話題になっている日本と韓国との相互の国民感情の問題は、これと少し似ているかもしれません。過去の重荷から来る国民感情は、そう簡単に精算できるものではないですね。悲しいことです。これに経済的な要因や宗教的な要因が加われば、なおさら難しくなります。

いずれにせよイエス・キリストの福音から考えれば、キリスト教信仰を理由にして、考えかたの違う人々の間に争いや憎しみが起こるということは、あってはならないはずです。それは明らかに福音の精神に矛盾します。もし過去に、キリスト教信仰のゆえに戦争がなされたとすれば、それは誤った信仰の理解に基づくものです。人間の罪のわざにほかなりません。

世の中に争いが報じられるたびに、私はフランシスコのとなえた祈りを思いだします。これこそ、キリスト者の祈りであるはずだと思います。

「主よ、私を、あなたの平和の道具としてお使いください。憎しみのあるところに愛を、いさかいのあるところにはゆるしを、分裂のあるところには一致を、疑惑のあるところには信仰を、誤っているところには真理を、絶望のあるところには希望を、暗闇には光を、悲しみのあるところには喜びを、もたらすことができますように」。

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