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カトリックQ&A

あえて「永遠のいのち」などを信じないでも、この世で精一杯に生きればよいのではないでしょうか。


そもそも、どの人間も生きているかぎり、自分の生きていることの意味を問います。そして、やはり心の奥底に、自分の人生が無意味なものでないことを望んでいます。でも、もし人間がただこの世の中に生きている間だけ存在し、後は消えてしまうものであるとしたら、結局は生きていることに意味はないのではないでしょうか。もし私たちが現世かぎりの存在であるなら、生まれつきハンディーキャップを負わされた人間は報われないでしょう。隣人愛のために自分のいのちを捧げることの意味もなくなってしまうでしょう。パウロが言うように、「もし、死者が復活しないとたら、『食べたり飲んだりしようではないか。どうせ明日は死ぬ身ではないか』ということになります」(1コリント15・32)。

どの人間も、自分の生きていることに意味があることを、そして自分という存在が肯定されることを求めます。

そう考えると、「死を越えるいのちへの希望」ということは、どの人間も生きているかぎり、潜在的であれ、意識的であれ、捨てることのできない自然の願望ではないでしょうか。キリスト教の復活信仰は、この人間に根源的で普遍的な希求に対して答えるものです。そして、イエス・キリストの復活において、その希望の保証が与えられているのだ、と信じています。

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