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カトリックQ&A

宗旨が違うと、死んだ後で違う所に行くのでしょうか。


ときどき、キリスト教の洗礼を受けると家の墓に一緒に入れなくなる、と心配する人がいます。確かに宗派によっては、一人でもキリスト者になれば墓を移ってもらう、という厳しいお寺もあります。さて、私にいわせれば、お墓など、あまりこだわらなくてもよいと思います。キリスト者だからといって、事情によってはお寺のお墓に葬られてもよいし、仏式で葬儀をしてもらってもかまわないでしょう。公には仏式で葬られ、家の人たちと一緒にお寺のお墓に納骨された人がいて、教会でその人のために、私的に追悼ミサを捧げることもできます。というのも、神様はただお一人で、神様の前では宗派の違いなどないからです。

キリスト教では、宗派が違ったからといって、死んだ後で別の所に行くとは考えません。それぞれの宗教で、信念に従って生き、神のみむねにかなった人たち、神の子らの家族に迎えられるでしょう。そこで私たちがどういう姿をしているだろうか、それは想像の域を越えています。たぶん、私たちが今ここで想像しているものとは、はるかに違ったものでしょう。いずれにせよ、神の子らの家族はただ一つであって、そこでは宗派の区別などなく、神のいのちにあずかる人々の、しあわせな交わりがあり、すでに亡くなった私たちの親族とも、再びまみえることを信じています。

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