カトリックQ&A
カトリック信者が愛唱している「天使祝詞」の中に、「天主の御母、聖マリア」と唱えるのには疑問があります。聖書では父なる神が天主なのに、なぜ聖母が天主の御母なのでしょうか。
このご質問は、もう千五百年以上も前に論争の的になったことです。そもそもきっかけは、イエス・キリストがだれであるか、という議論でした。「神の母」とは、歴史の経緯の絡んだ特殊用語で、この言葉には、イエスは神ご自身を仲介する者である、イエスは神の子である、イエスは受肉したロゴスである、という信仰が前提になっています。
「時が満ちると、神はその御子を女から、しかも律法の下に生まれたものとしてお遣わしになりました」(ガラテヤ4・4)と言われるように、イエスが女から生まれたことは、神のロゴスが私たちと同じ人間性を受け取った、ということを、なまなましく表現するものでした。だから、古代の信仰告白で、「おとめマリアから生まれ」という言葉は、「ポンシオ・ピラトの下で苦しみを受け」という言葉とともに、イエス・キリストの現実の人間性と歴史性を強調するために言われました。それによって、イエスの肉の弱さこそ、肉である私たちの救いとなること、このイエスを神が栄光に挙げられたことによって、肉である私たちに神のいのちが約束されたことが表現されています。
四三一年エフェソ公会議は、当時の論争の的であった「神の母」という表現が正しい、ということを宣言しました。しかし、教義の歴史を詳細に調べますと、そこに貴重な信仰の真理が語られているとしても、その表現がいつも人々に正しく理解されたか、という点には疑問の余地があるでしょう。いずれにせよ、今日の私たちは、「神の母」と唱えるとき、多神教的な女神を想像するのではなく、神の救いの計画がマリアの自由な受諾によって実現したことを思い、神のことばに聴き従ったマリアを讃えるのです。