カトリックQ&A
カトリック教会で女性が聖職者になれないというのは、女性蔑視ではないでしょうか。
この質問には、いささか心苦しいですね。現代では世界の各地でフェミニズムとか女性解放運動とかが声高に叫ばれ、女性が社会のさまざまな分野で活躍するようになりました。特定の地位や役割が女性に開かれていないということは、時代遅れのように見えます。
では、なぜカトリック教会では聖職者を男性に限るのでしょう。これは、多分に歴史のなりゆきでそうなったのだ、と言ってもよいと思います。
もともとイエスは、当時のユダヤ社会では異様に思われるほど、女性を大切にしました。ユダヤ教の教師たちとは違って、女性を弟子にしましたし、女性は献身的にイエスの宣教活動に協力しました。福音書を読みますと、イエスが捕らえられたとき男の弟子たちは逃げてしまったのに、女性たちは十字架の下にまでつき従ったと言われています。また復活の朝、イエスは栄光の姿をまず女性たちに現します。イエスの女性へのかかわり方は、当時の世界では、いわば革命的なほどに進歩的だったと言えます。
そして、このイエスの生きざまを反映して、原始のキリスト教の教会では、女性が活躍していました。パウロの宣教活動にも女性の協力者たちの役割は大きかったし、あちこちのキリスト者の共同体で、女性たちが教師とか預言者などの役職についていたようです。もちろん、これはカリスマによる役職であって、法制化された制度であったわけではありません。
後の教会が原始の教会の精神をずっと保っていたとしたら、教会の歴史はまったく違った発展を見たことでしょう。でも私が思うには、あのヘレニズム世界の中で教会が発展していくには、よきにつけあしきにつけ、その社会の考え方や慣習を受けとらざるをえなかったのではないでしょうか。だいたい二世紀の半ばには、司教、司祭、助祭という三段階の職制がしだいに教会内に定着していきました。そして、制度としての役職は、その当時の風習から当然に、男性に限られていました。
そのようなわけで、教会の制度というのは多分に歴史の偶然がつくってきた面があります。聖職者が男性に限られるというのは、永遠に不変の神定法によるわけではないし、司祭職の本質を神学的に考えるとき、これが男性でなければならないという必然性はないと思います。現に聖公会やプロテスタントの諸教会では、女性の司祭や牧師がりっぱに活躍しています。カトリック教会は非常に伝統を重んじる教会ですから、一朝一夕には、これまでの習慣を変えるわけにはいかないでしょう。でも、将来はどうなるでしょうか。あんがい近いうちに変革が起こるかもしれません。
ただ現実的には、私は日本の教会では、もっともっと女性たちが自覚してほしいと思います。確かに信徒の人数から見て圧倒的に女性の方が多いし、その中には指導的な立場にある方々も少なくありません。特にシスターたちはさまざまな福音宣教の場で男性以上に活躍しています。でも、未来の教会を方向づけるために欠かせない神学の分野について言えば、女性の活躍はほとんど見られません。これまでの教会の伝統がそうさせてしまったのでしょうか。神学講座などに通う女性は多くても、そこからもう一歩先まで進んで、たとえば学会に参加したり、学術的なレベルの神学研究や教育にたずさわる女性はごくまれです。これは、残念でしかたありません。とにかく教会の改革には、まず内部からの意識変革がなければならないと思います。