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カトリックQ&A

キリスト者たちが大嘗祭に際して政教分離を訴えるのはわかりますが、天皇制そのものに反対するのはなぜですか。天皇制はキリスト教の信仰とあいいれないものなのですか。


これも、様々な要因が複雑に絡みあった問題です。キリスト者の中にも、さまざまな考え方がありうるでしょう。現在の憲法の定める天皇制は、少なくとも理論的には天皇を神格化したり、神道を国教として強要したりするものではありませんから、ただちにキリスト教の信仰と矛盾するとは言えないでしょう。カトリック信者の中には、天皇陛下に対して深い敬愛の念をもっている人たちは大勢います。ギリシャ正教会では、古来の伝統にのっとって典礼の中で必ず天皇陛下のために祈る習慣があります。

しかし、天皇制は軍国主義のイデオロギーとして利用されたという不幸な過去があり、将来にもその危険が皆無であるとは言えません。日本は天皇の名のもとに、アジアの隣人諸国を侵略し、暴挙を働きました。そのときに人々に与えた傷は、まだ癒えていません。 また、天皇制は今もなお、国粋主義につながりがちです。ひょっとしたら私たちの心の奥には、日本人をアジア諸国の人々よりも優れた人種であるかのように思ったり、彼らを排斥したりする傾向が潜んでいないでしょうか。もしそうだとすれば、それはキリスト教の信仰と相いれません。なぜなら、キリスト教は神がすべての人の父であり、私たちがともに神の子の交わりに招かれている兄弟であることを信じるからです。

たとえキリスト教の教会が歴史の中で権力者と親密な関係にあったり、今でもキリスト教国で国家行事と不可分なかかわりにあるとしても、だからといって政治権力との結びつきがキリスト教の本質に抵触しないという結論にはなりません。逆に天皇制が神道色を帯びていて、キリスト教に有利でないからといって、キリスト教の信仰と相いれないという結論にはなりません。私たちはむしろ、より根本的に福音の精神に照らして考える必要があるでしょう。キリストの福音は血統や民族性によらず、信仰による新しい神の民を志向するものです。人は血統のゆえに神に選ばれるのではなく、また民族性のゆえに神の前で他より優れているのではありません。このことは、天皇制を考える際に見落としてはならない視点だと思います。

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