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カトリックQ&A

このたびの湾岸戦争では、双方が神の名によって戦うということを主張しましたが、宗教が戦争の動機づけになるのですか。カトリック教会ではこの戦争をどのように考えているのですか。


マスコミの論評などで、ときどき宗教が争いのもとになるかのように言われるのですが、少なくともこの戦争は宗教のために起こったのではない、ということをはっきりさせておきましょう。ただ、他の理由で起こった戦争を正当化するために、人は宗教を利用するのです。神の意志に基づく正義の戦いであるとか、悪魔に対する聖戦であるとか言って、戦う人たちを励ますのです。宗教がイデオロギーとして利用されるのは、歴史に繰り返される不幸な現象ですが、これに対して私たちは批判的でなければなりません。

さて、もう一歩踏み込んで、キリスト者として湾岸戦争をどう考えるか、と問われると、これは難しい問題です。武力行使が絶対的に否定されるとか、逆に正義のために武器を取るべきだとか、キリストの福音からすぐにはっきりした結論は出てこないからです。およそ政治の問題には様々な要因が絡んでいて、白とか黒とか、そう簡単に割り切れません。むしろ白も黒も両方を含んでいるのが現実でしょう。政治については、キリスト者だからこういう立場を取るべきだとか、キリスト者だからこの政党を支持すべきだとか、そのような結論はすぐには出てきません。

だから神の国の実現を目指すキリスト者がすべきことは、そのつどの状況に則して、福音の精神からどのように考え、どのように行動すべきかを、祈りの中で誠実に考え、互いに話しあい、自分の良心に従ってできるだけのことをする以外にありません。もちろんカトリック教会なら、その地の司教団がイニシアティヴを取って、教会全体の見解をまとめることができれば、それは大きな力になるし、正義と平和のために効果的に貢献することができるでしょう。でも、それが必ずしもカトリック信仰から必然的に帰結される見解であるとは限らないし、それと違う考え方もありうるかもしれません。だから、互いに愛と尊敬をもって、自分の考えを絶対視したり、他の考えを排斥したりしないことが大切だと思います。 

しかし、あえて私の考えを述べさせていただくと、次のことははっきり言っても差し支えないでしょう。およそ戦争は神のお望みではありません。教皇ヨハネ・パウロ二世が述べられたように、人間の罪の結果として生来する野蛮な殺戮と破壊です。どのような大義名分をもってきても、その事実には変わることはありません。

しかも昔と違って、現代では一つの兵器の使用が戦闘員と非戦闘員の区別なく大量殺人という悪をもたらばかりか、人類の存亡にかかわる生態環境を致命的に破壊さえしてしまうのです。そのような状況の中で、はたして正義のための戦いという理屈が成り立つでしょうか。国際秩序を守るための警察行動という論理は、やはり限界があると思います。たとえ国連の決議であったとしても、私自身は武力によって正義の証をするという考えには賛成できません。

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