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カトリックQ&A

しばしばキリスト者は「神の呼びかけ」とか「みむね」とかを口にします。私たちは、神が望んでおられることを知ることができるのですか。もし本当なら、どのようにすれば知ることができるのですか。


「神の呼びかけ」と言っても、それは比喩的に言っているのであって、決して本当の声が聞こえてくるわけではありません。そうではなく、自分の信仰生活の体験の中で、神が自分に望んでおられることを感じ取るのです。
それには、やはり祈りの経験が必要です。神の前で静かに自分を振り返る、という習慣をつけると、少しずつ「神のみむね」が何であるかを知ることができるようになります。 

まず、祈りの中でまじめに考え、これこそ自分がすべきだ、と思うことをやってみます。そして、やってみて、心の奥底に深い喜びを感じたなら、それが神の前で正しい決断だったのです。神は私たちに、単なる表層的な喜びではなく、存在の根源に触れるような喜びを、御自分のしるしとしてお与えになるからです。長い人生の歩みの中で、その時点に自分が変えられ、成長させられたことを確かめることができれば、その決断こそ神が自分に望まれたことだった、と言うことができます。

でも、あまり神がかりになってはいけません。私たち人間は、あくまでも自分に与えられた理性をもって判断し、与えられた意志をもって行動していくのです。そして、長い人生の営みを振り返ったとき、それが神の導きであった、と知ることができるのです。

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