カトリックQ&A
世界情勢の危機的な様相とか、地球の環境汚染の問題などを考えるとき、未来が不安です。キリスト教のある教派ですが、世の終わりが近づいているとか、裁きが迫っているとか、街頭で盛んに宣教していますが、やはりそうなのでしょうか。カトリック教会ではどのように考えているのですか。
おっしゃるとおり、現代世界は不安に満ちています。戦争の脅威にさらされている国々での核兵器や化学兵器による自然破壊は言うまでもありません。平穏無事と言われる日本でも、経済至上主義と消費文明の精神性にどっぷりつかった人間は、人類の共通の財産であるはずの資源をむさぼり尽くし、海洋や大気を汚染し、自然環境を破壊し続けています。このままでは、次の世代に人類の生存にかかわるほどの「つけ」を回すことになるでしょう。
でも、だからと言って、世の終わりが近づいているとか、世界が破滅に至るとか、まるで昔のユダヤ世界に流布していた黙示文学のような、末法思想を唱えるのは正しくないと思います。また、死後に裁きが来ると言って人々を脅かすのも、本来は喜びの知らせであるはずの「福音」の精神ではありません。
キリストの福音によって神の国の建設のために働くよう呼ばれている者は、この世界が、人間社会も自然環境も含めて、すべてが神の愛の支配に服するように願い、そのためにどんなにわずかであっても、力を尽くさなければなりません。人間の救いは、およそ「世界の救い」と切り離しては考えられないからです。
しかし、当時にキリスト教の信仰は、全能の神の救いの働きによって、人間のどんな罪と過ちにもかかわらず、最終的には人類の歴史が破滅に終わるのではなく、神の恵みの勝利に終わるであろうことを信じています。真にキリストの福音を信じる者は、世界のどんな危機的な状況の中でも、この信頼と楽観主義を失ってはなりません。
イエス・キリストの復活は、世界の歴史が最終的には神の愛の勝利に終わるであろうことを約束するものです。それは新しい天地創造を先取るものであり、だからこそ、私たちにとって希望の保証となるものです。たとえ世界にどのような悲惨があり、人間の罪に起因する傷とゆがみがあろうとも、キリスト者は神ご自身がイエスの十字架を通してこれを担ってくださり、これを癒してくださるであろうことを信じています。イエスの復活というできごとこそ、この神の約束の公示であり、新しい天地創造の開始であることを信じています。