カトリックQ&A
ある新興宗教の人から、家に不幸があるのは悪い霊に取りつかれているからだ、といわれています。キリスト教で言う「聖霊」とは、「守護霊」のようなものと考えてよいのですか。
まず、悪い霊が不幸をもたらしている、などというのは迷信です。人に取りついている霊を見たとさえいって、その霊をなだめる方法とか、まじないとかで荒稼ぎしている宗教があります。自然科学の発達した現代にさえ、そのような迷信がはびこるのは、物質主義の謳歌する社会の中で人間がやはり科学や技術だけで救われるものではないことを感じているからでしょう。
聖書の中でいわれる「霊」とは、原語では「ルアーハ」とか「プネウマ」といわれ、これは「風」とか「息吹き」という意味の言葉です。つまり古代ユダヤ民族は、神が世界を造り、生命のないものにイキを吹きこんでイキているものにする、と考えました。霊とは、目に見えない神の働き、人を生かす働きのことです。神ご自身の臨在、といってもよいでしょう。イエスの弟子たちはユダヤの伝統に立って、神がイエスの死と復活を通じて、いまや決定的なかたちで、ご自分の霊を与えておられる、と信じました。この聖霊は私たちを内から生かしているもの、時間と場所を越えて私たちをキリストと結び、またキリストにおいて互いに結ぶものです。そして、弱い私たちを助け、キリストとともに神に向かって「アッバ、父よ」と叫ばせます(ロ-マ書8・15)。キリスト教では、聖霊は歴史を貫いて世界に働きかけ、変容し、完成へと導くものと考えられています。