カトリックQ&A
キリスト教ではキリストが復活したと言われますが、一度死んだ人が生き返ったなどと、本気で信じているのでしょうか。
ちょっと待ってください。キリスト教で言う「復活」とは、ただ死んだ人が「生き返る」、ということではありません。「生き返る」ということなら、それはこの地上の生にもう一度戻ること、人間が生まれ、成長し、老い、死んで朽ちていくという自然のプロセスに逆戻りすることになるでしょう。そうではなく、復活とは永遠の生への誕生であって、いわばまったく新しい神の創造のわざのことを言うのです。キリストの復活はキリスト教信仰の真髄をなすものですが、その言葉の意味を誤解すると、馬鹿らしくて信じられないのも無理はないでしょう。
もともと「復活」という言葉は、ユダヤ教の信仰から来るものです。イエス時代のユダヤ教では、世界の終末のときに神が天地を新しくされること、それまで死者の国で待っていた信仰者たちが復活させられて神のいのちに参与すること、こういうことが一般に信じられていました。イエスの弟子たちは、このユダヤ教の信仰を基礎にして、ここからイエスの復活を理解しました。
つまり、弟子たちはそれまでの自分たちの生き方を根底から変えてしまうような、神からの啓示のできごとを体験します。そして、その啓示の光に照らされて、ユダヤ教の信じている終末のできごとが、今すでに起こったのだ、と理解します。イエスにおいてこの終末のできごとが先取られたのだ、イエスは新しい天地創造の「初穂」とされたのだ、と理解します。これが、「イエスの復活」という言葉のそもそもの意味です。
だから、イエスの復活とは、まず第一に、神が御自分がどんな存在であるかを啓示されたできごとです。つまり神は天地の創造主であり、傷ついた世界を回復して創造のわざを完成させる方であること、無から存在を起こされたように、朽ちるべき生命を朽ちることのない永遠の生命へと高めることのおできになる方であること、御自分に信頼する者を決してお見捨てにならず、生と死を越えて信頼するに値する方であること、この方においてこそ人間の生の意味も、世界の歴史の意味も究極的に決定されるという、そういう方であることを啓示されました。
そしてイエスの復活とは、第二に、私たちの希望を保証するできごとです。それは、イエスに結ばれた者が、その復活にも結ばれて、神の国の完成のときに永遠のいのちに参与させられるのだ、ということを約束しています。この信仰こそ、キリスト者の希望の根拠となるものです。