カトリックQ&A
イエスの死は、どうして私たちの罪のゆるしとなるのですか。人類の「贖い」のためだった、という話も聞きますが。何のことか、よくわかりません。
罪のゆるしとなる、と言うより、罪によって傷ついた世界を癒す、と言ったほうがわかりやすいかもしれません。つまり、キリスト教の信仰は、イエスの死が神の救いのわざだった、と理解するところに始まります。イエスの死を通じて、罪の力に縛られた人類の悲惨を、神御自身が担ってくださった、という理解です。だから、「贖い」という古めかしい言葉も、正しく理解すれば、真実をうがっていますね。
「贖い」とは、聖書の中で用いられる非常に古い言葉で、多分に民族的な背景に結ばれています。古代の中近東の民族の間では、戦いに敗れた民族が捕虜となって、奴隷に売られることなど、日常茶飯事だったのですね。そこで、他民族に捕らわれた者、奴隷に売られた者などを、代償を払って買い戻すことが「贖い」と言われました。とくにユダヤ民族は、しばしば他の強い民族の間でいじめられ、民の指導層が根こそぎ捕らわれの身になったりして、そのような民族の危機の中で、神こそが自分たちの民族を救い出してくださるかた、まことの贖い主だという信仰を持ちつづけてきました。この考えかたがイエスを理解するときに助けとなって、イエス・キリストの死を通してなされた神の救いのわざを説明するために使われたわけです。
もともと特定の民族の歴史に結ばれた概念ですが、よく考えてみると、なかなか含蓄の深い言葉ですね。そこには1人間が捕らわれの状態にあること、2神が犠牲を払って救い出してくださること、3救われた人間に自由が回復されることが言われています。
「贖い」という言葉は、イエスの十字架をとおして、私たちの傷ついた世界が癒され、肉としての存在が神のいのちにあずかるものとされた、ということを表現しています。