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2022年復活祭ミサ説教

復活祭ミサ 説教
聖イグナチオ教会 2022.4.17

 

 ご復活おめでとうございます。
昨晩、復活徹夜祭の後、会場を出て空を見上げると、まん丸のお月さまが輝いていました。この時期の満月をピンク・ムーンと言うのだそうです。この満月を眺めながら、復活祭の日が「春分の日の次の満月の次の日曜日」と定められていることを思い起こしていました。今年は、満月のちょうど一日後に日曜日を迎えて復活祭の日になったのですが、これはとても珍しいことだと思います。
 ユダヤ教の過越祭は「ニサンの月の15日」と定められていますが、このニサンの月については、今日のグレゴリオ暦にあてはめていつなのかを同定することは、なかなかむずかしいのだそうですが、カトリック教会では、ニケアの公会議(325年)で、「春分の日の次の満月の次の日曜日」と定め、今日でもその規定に従って、復活祭の日を定めています。
 昨晩の満月を眺めながら、私は、もうひとつのことを思い起こしていました。「願わくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃」という西行の歌です。

ちょうど一週間前に奈良の吉野山に行って、「一目千本」と言われる桜を見てきました。初めて行ったのですが、噂に違わぬ見事な桜で、これほど美しい桜の風景を今までみたことはありませんでした。
「中千本」あたりに西行の歌碑があり、「木の本に 旅寝をすれば 吉野山 花のふすまを 着する春風」とありました。

まさにそんな雰囲気で、ごろんと昼寝したい気分になりました。
 西行にはもともと関心があったので、東京に戻っていろいろ調べてみると、吉野の桜を歌った歌がたくさんあって、その中には、今の私自身の姿、思いと重なるものがあり、これからちょっと勉強してみようと思っています。「春ごとの 花に心を慰めて 六十路あまりの 年を経にける」というのがあり、65歳を過ぎ、高齢者の仲間入りをしている私の思いの境地と同じだなと感じています。

 「願わくは・・・」の歌は、西行が亡くなる10年くらい前の歌だと言われており、西行は73歳で亡くなっていますから、「六十路あまりの年を経にける」と歌ったその頃に、「願わくは」とも歌ったのでしょう。実際に彼は2月16日に亡くなったのだそうで、お釈迦さまが亡くなった「きさらぎの望月の頃」(2月15日)の次の日でした。
 西行のこうした歌は日本人の死生観に大きな影響を与えています。そのことは、現代の日本ではすっかり定着した「終活」という言葉によく現われていると思います。テレビで死亡保険や家族葬、小さなお葬式などのコマーシャルなどを見ると、誰にも迷惑かけたくないとか、小さくて心温まる葬式とか、そんな言葉をよく聞くようになりました。人間らしい死を迎えたい、ゆえに過剰な医療はしてほしくない、そういったこともよく主張されるようになりました。樹木葬というのもあるそうで、自分の死をいかに迎え、どのように葬られたいか、それを準備するのが「終活」なのでしょう。カトリック教会でもそうした活動を積極的に行っているところはあります。
 私は、カトリック信仰の観点から、「終活」にとどまるのではなく、「ふっ活」(復活)まですすめるべきではないかと思っています。イエスが背負った十字架、そして無残な死、イエスにとっては、「なぜ私をお見捨てになったのですか」と叫ばせるほどの失意の死、しかしその死を通して、神は、永遠の命の門を開き、死を打ち滅ぼして、新しい永遠の命への道を開いてくださいました。パウロは、「神はそのひとり子を死に渡し、復活させられた」と言います。これは最初のキリスト者たちの信仰宣言でした。「復活」という言葉で、神との新たな関係を結ぶことができ、その初穂となったイエス。その復活信仰をもつ私たちであれば、「終活」にとどまることなく「ふっ活」することが大切なのではないか、そう思います。
 弁天橋に通じる紀尾井町通りは今、ハナミズキと八重桜が競演しています。ハナミズキには十字架伝説があります。イエスが背負った十字架の木はハナミズキの木からつくられたという伝説です。花びらが四枚あり、その先に黒っぽい斑点がついています。それが十字架を思わせたのでしょう。北米原産の木ですから、イスラエルにはもともとある木ではありません。不思議なことに、復活の日は毎年ずれるのですが、聖金曜日が近づくと、ハナミズキが咲き始めます。去年は10日近く復活祭が早かったのですが、そうでした。ハナミズキを眺めながら十字架を思い、そして八重桜を眺めながら永遠の命の輝きを感じる。そんな散策してみたらいかがでしょうか。

李 聖一